◤ COLUMN!! ◢ 王女 百度踏揚

百度踏揚(ももとふみあがり)は、1453年に第一尚氏王統の第六代国王に就任し、万国津梁の鐘を建立した尚泰久王の長女にあたります。
踏揚は、父の意向により、沖縄本島中部の勝連(現在のうるま市)を治めていた強力な按司(あじ)の阿麻和利(あまわり)のもとに嫁ぎました。

これは、戦乱の時代、王府としての足場を固めるための政略結婚だったといわれています。
その後、1458年に起きた「護佐丸・阿麻和利の乱」により阿麻和利は死去。踏揚は、付き人だった鬼大城(うふうにぐしく)こと大城賢勇(おおしろ けんゆう)の妻となりました。
しかし、その大城賢勇も、後の第二尚氏王統の始祖となる金丸が起こしたクーデターによって死去。

みたび行き場を失った踏揚は、兄である三津葉多武喜(みつばたぶき)を頼り、沖縄本島南部の玉城(現在の南城市)へ渡り、晩年を過ごしたとされています。

踏揚は、歴史に翻弄された美しき女性として、今も語り継がれています。

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