戦中・戦後の子どものオーラルヒストリー
仲本實先生のオーラルヒストリー

その他の動画   (疎開船と家族)

食事 食事 食事

③ 父との別れ

 父は,結局,飛行場で働いた。兵隊ではないんですけど,軍属なんですよ。軍属といって,要するに兵隊の手伝いをする仕事ですね。軍属。そして,トラックの運転手でした。そして,たまには飛行機が落ちることがあるんですよ。その飛行機の残骸を乗っけてね,飛行場に持ってくるとか,そんな仕事もしていました。

 そして,やっぱり戦争というのは,やっぱり知っていますんで,結局,父はまず隣近所の人を集めて,親せきを集めて,防空壕をつくる。防空壕といっても自然のガマですね。そこを,ほら,氷柱(つらら)が下がっておったり,鍾乳洞が下がっておったり,こんなものを割って頭を傷めないように。それから,下には床を敷いたり,それから,藁(わら)を敷いたりして,その防空壕の,その自然のガマを整備する。

 それと同時に,これは他になかったんじゃないかなと思うんですけど,要するに,山の中に穴を掘るんですよ。山の中に穴を掘って,そこに大きな甕(かめ)を埋めるんですね。埋めて,そこの中に米を蓄える。米をね,米とか豆とか。要するに,食料をその甕の中に入れる。これを何カ所かにやって,そして,上から草か何かをしてわからんようにする。そういうふうにして食料をまず確保してあったんですね。これはあとで食料の足しなって,私たちは,だから山にいる間,食料不足したことはないんです。他の人たちは,山では非常に苦しかったと言いますけれども,私たちは食料豊富でした。こういうふうに,要するに隠してあった。

 それから次,母に遺言があるんです。当時,「遺言」とは言わなかったんですが,母に強く言っていました。アメリカという国は,女,子ども,年寄りはとても大事にする国だ。だから,見つかっても,あるいは防空壕から出るときでも,絶対に逃げるなと。逃げたら撃たれますよと。だから,絶対に逃げちゃいかん。手を上げて出なさいと。その手を上げるところまで教えてくれたんだな。

 ただ聞いているのは,逃げるなと。逃げたら撃たれるということだけを聞いているんです。これが結局,父が最後に出て行くとき,山に訪ねてきて,これが何日だったかよくわからないんですが,おそらく3月の終わりごろじゃなかったかと。それからすぐ上陸しましたんでね。3月の終わり。そして,訪ねてきたときには,もう父たちは,この飛行場から他に移動するんだということで訪ねてきたと思います。

 父と母は,それを,死ぬかもしれんということを知っているわけです。知っているわけですよね。そして,母は村はずれまで送って行ったんですが,そこの別れというかな,どんなやったかなと思って……。今でも涙することあるんですね,それを考えるとね。当時は,「あっ,バイバイ」といった感じで,簡単に別れたんですが,今,考えると大変だっただろうなと。

 屋嘉(やか)捕虜収容所に,兵隊,要するに軍隊だった人たちが集められていた。その軍隊たちが集められますのは,新しく入ってくる人がいますと,この名前を石川の木の下で,ちょっと木陰で名前を呼んでいるんですよ。ここに来た人を。そして,私も父がいないかと思って,毎日,そこに通って,父の名前が呼ばれんかなというのを聞いていたんですが,結局,私は父の名前を呼ばれることはなかったんですが。そこで何となく寂しい思いをして,家に帰りました。