戦中・戦後の子どものオーラルヒストリー
仲本實先生のオーラルヒストリー

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④ 母との別れ、そして再会

 私は宮森(小学校)の時代にですね,けんかしたんですよ。けんかして,相手を傷つけてしまった。それで学校へ行って,うんと怒られましてね。そのころの先生のたたき方もひどいものでしたけど。顎(あご)をすくめて,「顎を食いしばれ!」と言って,バシャッとやるんですよ。私,ひっくり返っているんですね。今度は「立て!」と言って,また今度は左手でバシャッです。こんなふうにして殴られたりしていました。

 でも,不思議に泣かないんですね。不思議に泣かないんです。そして,「おまえは,そのテントの中に座っておけ」ということで,そこで跪いて座っているんですよ。そうやって,やっているんですが,いつまで経っても先生に来てもらえない。そして,だんだん日が暮れてきますよ。だんだん日が暮れてくるから,先生来てもらえない。「あれ,どうしよう」と思っておっても,やっぱり跪いて座っていました。

 そして,そのころは生徒は,みんな帰っていますから,テントの周囲は全部幕が下ろされていて中はほとんど真っ暗ですね。入り口だけ開いているんです。そこに顔を出した人がいるんですよ。そうすると逆光で初めはわからないんですね。それで見たら,これが母親なんですよ。そのときに,見たときに,私はワーッと泣いたんです。それまで1滴の涙も流さないんですが,ワーッと泣いた。

 そうすると,私はけんかして先生に怒られまして,結局,一番モヤモヤッとしているし,不安でどうしよう,どうしようと思っているときに,しかも今まで会ったことのない,生活していない,その母親がそこからワッと顔を出したんですね。これを見たら,結局,今まで我慢しておったというか,泣きもしなかったのがもうワーッと泣いたんですね。

 母親はどうしたかというと,そのころ漢那(かんな)というところにおったんです。宜野座村の漢那というところ。私は石川です。そうすると,漢那から石川に通えるということはないんです,当時。行ったり来たりがないんですね。軍のトラックで,たまに行ったり来たりできることはあるんですが,普通はないんです。母親は私に会うために,漢那の村からアメリカのトラックを頼んで,石川まで来ているんですね。

 そして,家で待っているんですが,ちょっとしたテント小屋ですけれども,そこで待っているのに来ない。夕方になっても来ない。「あれ? どうしたんだろう」といって,結局,学校に探しに来ているんですよ。それが,この出会いなんですね。そうしたら,私はワーッと泣いたんですけれども,これね,今思うんですけれども,何となく親子の縁というんですか,親子というものは,これ大事だな,大変なことなんだなと。

 結局,私が一番困っているときに,やっぱり親は来れないところを無理して来ている。そして,私に会っているわけですね。そして,私とけんかして傷をつけた人のところまで行って,その親御さんにも,その子にも謝って,その翌日はまた漢那のほうに帰っていった。そのときは,やっぱり寂しかったですが,私も行きたかったですが,しかし,そのときには,どうせもう山田に帰れるから,そこで一緒になろうということだったんでね。