戦中・戦後の子どものオーラルヒストリー
仲本實先生のオーラルヒストリー

その他の動画   (ガマをたずねて)

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① チビチリジャクのガマ

 ここがチビチリジャクのガマ。入口見るとかなり小さいみたいなんですが,ここに4,50名入っていたんです。空襲時にはね,ここから(向こうに)電波探知機があったんで,ここから向こうに行きよったんですよ。機銃照射で。この辺に薬きょうが落ちてきよった。私,その薬きょう拾ってつなぎよってね。機関砲の(弾の)ようにつないで,怒られたことありますけど。

 …で4,50名入っていました。みんな親せきでね,みんな親せきで入ってます。で,結局親父は「アメリカに見つかったら手を挙げて出なさい」と。これが遺言だね。ようするに「逃げたら打たれるよ」と。「逃げるな,手を挙げて出ていきなさい」と。これがくっついてるのが面白いんだけど,「アメリカという国は,年寄り・子ども,女・(子ども・年より)は,大事にする国だと。それが親父の遺言。だから,見つかったら君たちも手を挙げて出なさい」と。ということです。

 それで,ここからアメリカさんが上から来た時に,ここは見つからなかったんだけど,みんなそこで困って…。逃げようか,ここで自爆しようかなんて話しがあった。そしたら,おふくろはうちの親父を信用しているから,「いや,ここで待ておこう」(と言って)ね。静かに待っていた。そして,幸いにもその日は(アメリカ兵に)見つからなかった。ここはね。で,こんなところで4,50名って。

 中にはね,今こうでしょ。中には,這(は)っていって,1mぐらい這うかな。1mぐらい這っていったら,中に大きな空洞があって,そこは立って歩ける。そしてもっともっと(這って)いって,またこんなの(空洞)があって…。それでこの前分かったことなんだが,孫たちがそこを探検したんだが,こんなちっちゃな穴があって,そこを這っていくと,やっぱり空洞があって,こんなこんなしてずっと裏側の山に抜けたんだって。そして,我々の頃はそこに水が流れていたからね。(だから)そこ通れなかったわけ。今はもう水がなくなっているから,通れるんですね。

 そしてみなさん,シーシルというのは分かるかな。シーシルといって,水がポンポン垂れるでしょ。鍾乳洞の(鍾乳石の)先からね。これは,今頃はないんです。雨季じゃないから。雨季にはね,よくあるんですよ。だからここで寝泊まりできない。できないから,下の方の避難小屋で寝泊まりしていた。ということです。